誰にもなぜだかわからないけどコロナが治まっているので、温泉に行ってきました。コロナ禍のなか安らぎと癒しを求めて、以前に泊まって良かった中棚荘を選びました。ぽん太とにゃん子は3回目の宿泊になります。
小諸の千曲川を望む町中にある和風旅館。島崎藤村の「千曲川旅情の歌」に描かれていることで有名ですね。アメニティの整った平成館もありますが、ぽん太とにゃん子はいつでもレトロな風情がある大正館を選択。温泉はこの時期、甘酸っぱい香りが漂うりんご風呂。泉質もアルカリ性のお肌がすべすべになる美人の湯で、ほどよく硫黄の香りがし、肌に泡がついてきます。お料理も地元の食材を使いながら、一つひとつ手が込んでいます。とってもくつろげる素晴らしい宿で、ぽん太の評価は4点です。
【旅館名】中棚荘
【住所】長野県小諸市古城中棚
【宿泊日】令和3年11月中旬
【プランと料金】大正館2F 2名1室 1人16,500円
【泉質】アルカリ性単純温泉 源泉掛け流し(循環加温あり)
大正館へと続く小径。この宿に泊まるのは3回目ですが、古い建物が好きなぽん太とにゃん子は3回とも大正館です。
お部屋は2階の「遊子」。旅人という意味ですが、もちろん「千曲川旅情の歌」の「雲白く遊子悲しむ」から取られています。
ぽん太はこの宿に泊まるたびに、「千曲川旅情の歌」を暗誦しているのですが、所詮はタヌキなのですぐ忘れてしまいます。こんかいはいつまで覚えていることやら……。
で、この部屋は「藤村の間」の隣です。「藤村の間」は、かつて島崎藤村が泊まった部屋を「再現」したものです。
藤村が小諸義塾の英語教師として赴任したのが明治32年(1899)。その後6年間小諸で過ごしました。中棚荘の元になった中棚鉱泉が開湯したのが明治31年。藤村は中棚鉱泉に足繁く訪れました。藤村が明治38年(1905)に出版した「落梅集」の冒頭が『小諸なる古城のほとり』で、のちの自選藤村詩抄に『千曲川旅情の歌 一』として収められました。
中棚荘の大正館がいつごろ建てられたのかちょっとわかりませんが、「大正館」というくらいですから大正時代たとすると、藤村が訪れた時期とはずれてますね。当館宿泊者のブログに「藤村が泊まった部屋」と書いてあるのを見かけますが、それは間違いで、「藤村が泊まった部屋を再現したもの」が正しいようです。
温泉は、冒頭の写真の内湯と、上の写真の露天風呂があります。上の写真左奥の赤い橋があるところが千曲川です。露天風呂は温度がやや低く、いつまでも入っていられます。
無色透明のお湯で、ちょっと硫黄の香りがします。だけどアルカリ性で、お肌がすべすべになる美人の湯です。また入っていると、お肌に泡がついてきます。
藤村のもひとつ有名な詩が「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき」で始まる『初恋』。当館の林檎風呂はこの詩にちなんだものですね。
いつ頃のものかわかりませんが、昔の効能書きです。精神科関係は「神
經機亢盛ノ諸症或ハ各種神経ノ麻痺經久脳脊髄中風知
覺過敏依ト昆垤里歇私的里依ト昆垤里歇私的里神経衰弱等ニ効アリ」というあたりですね。字体は見つけやすいものにちょっと変わってます。今回はこの解読を記事のメインとしてみましょう。
「神經機 」というのは現代で言えば「神経機構」、「神経系」といったところでしょうか。ググってみても、中国語にもあんまり出てきません。植物性神經系統/解剖及 生理 - J-Stageというサイトに、いつ頃のものかわからない医学書があって、「交感
神經機 」という言葉がありますので、「神経系」の昔の日本の医学用語か?
「
亢盛」というのは亢盛:漢方・中医学用語説明というサイトには、中医学(中国の伝統医学)の用語のようで、「
気持ちや病勢などが高ぶり、盛りあがること」と書いてあります。現代の用語でいうと「亢進」ですかね。ということは「神經機亢盛」というのは、「神経がたかぶっている」「交感神経緊張」みたいなもんでしょうか。
「神経ノ麻痺」はそのままか。問題は次の「經久脳脊髄中風」。
「經久」という言葉がわからないのですが、中国語の经久でググってみると、
经久の意味 - 中国語辞書 - Weblio日中中日辞典がヒットして、「長時間にわたる、長持ちする」という意味だそうです。ということは現代医学用語では、「慢性」といった感じか。「中風」は日本でも俗語で使われる、「脳血管障害の後遺症による麻痺や震え、言語障害など」ですね。
さて問題は「
依ト昆垤里歇私的里」です。これはまったく見当がつきません。さまざまにぐぐってみたら、ようやく見つかりました。レファレンス協同データベース。依■毘■児(■は表記できない文字)がイポコンデル、喜■昆垤児がヒポコンデル,イポコンデル,ヒポコンデリー,ヒポコンデリ,ヒポコンドリーなどと書かれています。今でいうヒポコンデリーの当て字ですね。それが分かれば、歇私的里はヒステリーであると類推できます。
さらにぐぐると、“依卜昆垤児(ひぽこんでる)”の例文|ふりがな文庫に、依卜昆垤児はひぽこんでる、喜斯的里はひすてりーと書いてあります。ちょっと表記は違いますが、「
依ト昆垤里」はヒポコンデリー、「歇私的里」はヒステリーの当て字で間違いなさそうです。
ヒポコンデリーは現在の精神医学でも使われる言葉で、ドイツ語のHypochondrie、英語のhypochondria、日本語では心気症と訳されております。実際には身体的な病気がないのに、あれこれと症状を訴え、自分は重病にかかっているのではないかと不安になる病気ですね。ギリシャ語でhypoは下、chondrosは軟骨を意味し、肋骨の下に原因があると考えられていたため、このような名前になったそうです。体のことを心配するのに「心気症」という訳語は変な気がします。ちょっとぐぐってみましたが、いつ頃、どういう理由でこのような訳語が当てられたのか、よくわかりません。こういった領域は、文献や情報が少ないですね。「ホントはどこも悪くないのに気に病んでいる」という感じでしょうか?
ヒステリーは日常会話でよく使いますね。というか、精神医学用語では逆に使われなくりました。というのもドイツ語Hysterie、英語のhysteriaという名前は、子宮を意味するギリシャ語から来ていて、女性特有の病気と考えられていました。19世紀後半にフロイトが男性のヒステリーを発表したとき、「なんで子宮がないのに男がヒステリーになるんだ」と批判されたという話を、ぽん太は聞いたことがあるような気がしますが、信じるも信じないもあなた次第です。日常用語でヒステリーというと女性が「キ〜〜〜!」となることで、「ヒステリー」という言葉は性差別というか、女性に対するレッテル、スティグマと捉えられるようになったのでしょう。現在は、解離性障害と転換性障害という二つの疾患に吸収されています。
そういえば歴史的には、女性のヒステリーと男性のヒポコンデリーと対になって受け止められていたのですが、ヒポコンデリーの方は死語になってません。男性的な語源が含まれていないせいでしょうか。「睾丸病」とかいう名前だったら使用禁止になっていたかもしれません。
「神経衰弱」は、トランプのゲーム名として知られていますが、アメリカの精神医学者ベアード(George Miller Beard)が1869年に発表したNeurastheniaの訳語ですね。不安、抑うつ、意欲低下などの精神症状や、倦怠感、頭痛、動悸、高血圧などの身体症状を示す病態で、主にエリートが都市化のストレスで発症する病気と考えられました。この病名も現在では死語ですね。ひとつの疾患概念としては使われなくなり、うつ病、適応障害、不安障害、身体化障害などに解体吸収されております。
このへんの話は面白そうですね〜。医者引退したら調べてみますか。
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